コロナ禍における人権教育(知念勝美)

~日常を超えた枠組みを考える視点の育成のために~

沖縄県立石川高等学校の 知念 勝美 先生のレポートを、ご本人の了解を得ましたので掲載させていただきます。

1 研究の経過と概要
  (1)はじめに
  (2)レポートができるまで

2 2020年度の実践
  (1)「検温アプリ」をめぐって
  (2)人権委員会のとりくみ
  (3)人権教育のとりくみ

3 おわりに

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1.研究の概要
(1)はじめに
2020年2月、政府の突然の要請を受けて始まった全国一斉休校を皮切りに、新型コロナウィルスの感染症対策と銘打った数々の施策は、沖縄県の教育現場にも大きな混乱をもたらした。学校現場でも、感染対策が理由で、新しい提案事項でも十分な時間をかけて審議することができにくくなり、根拠や生徒一人ひとりの状況を検討する余裕もなく、一方的、場当たり的な「指示」が多くなってきているように感じた。このレポートは、そういう状況に対し、民主主義と人権の危機を感じて取り組んだ実践の報告である。日常生活を合理的に過ごすための、良かれと思った判断が何につながっていくのか、目の前の事象だけでなく、歴史から学び、全体の構造を捉える視点を共有することを目的とした。
(2)レポートができるまで
  2020年度、私は所属校の分会長を務めており、所属校の人権委員会(構成:校長・教頭・事務長・職場代表)のメンバーでもあったので、感じた問題点について、そのつど意見交換を行い、人権意識を高めるための資料「人権通信」を作成・配布した。また、全県の高校から分会長が集う、評議員会で、各校の新型コロナ対策について情報を聞きながら問題提起を行った。そして、昨年度および今年度の10月に開催された沖縄県高教組教育研究中央集会の平和教育分科会で実践報告を行った。コロナ対策のための限られた時間ではあったが、特に今年度の分科会では、受験への効率化のために「塾化」していく学校に対する危機感などが共有され、一人ひとりの命の尊厳を大切にする社会づくりのために、人権教育の大切さが再確認された。その際、学びを受けて変容する生徒の声や姿を教職員全体で共有することで、職員の意識も変わっていくのではないかという認識が共有された。

2.2020年度の実践
(1)「検温アプリ」をめぐって
  2020年度4月より、新型コロナ対策として、生徒は休校中でも毎朝夕、体温を測定し、学校へ報告することが求められるようになった。まず、家庭で過ごす期間においても、学校が生徒個人の身体を管理しようとする姿勢に違和感があったが、何よりも、究極の個人情報である生体情報をスマホのアプリで入力させ、職員が自由に閲覧できる「検温アプリ」の運用が、生徒に何の説明も無く始まろうとしていることに問題点を感じた。そこで、職員会議でこの方法についての説明があった際に、懸念されることを伝え、運用責任者である教頭と確認しながら、アプリの「目的」や「管理責任者」、「使用法」、「データの保存期間」などが明記された説明書を作成してもらった。また、諸事情でスマホを使用できない生徒やアプリを使用したくない生徒のために、紙の媒体も用意することを確認した。
  検温アプリに限らず、新型コロナ禍前はスマホを目の敵にしていた学校現場が、一転して、スマホの使用が前提となったリモート学習を当然のこととして進めようとする状況があるので、肩身を狭くしている生徒や24時間学校とのつながりをもたされることを嫌がる生徒の存在に配慮するよう、気になる提案がなされる際はそのつど声をあげるようにしている。提案する係は、忙しい中に、良かれと思って行っているので、それに水を差す行為は、なかなかエネルギーが必要だが、大事なことだと思う。
(2)人権委員会のとりくみ
  前述した「人権通信」を9月と10月の「人権の日」に職員朝会時に全職員に配布した。
 テーマは「個人情報」についてと、「子どもの権利」についてだ。今の生徒たちは情報を教科として、理論も学ぶが、私たち教職員は30代前半の若い職員以外は、実技を中心に数時間の研修で学ぶくらいだ。また、「子どもの権利」=「人権」についての意識も、自分自身を含め、学校現場では決して高くはないように感じる。特に、指導に熱心になる時ほど要注意だと思う。普段でも届きにくい生徒の声は、コロナ禍でますます遠くなるのではとの懸念があったので、人権の問題を主観ではなく、法律や条令の内容を共有することから始める必要があると考え、作成したものが、下記の資料だ。

(3)人権教育のとりくみ
新型コロナの影響で、当初は6月に予定していた平和教育の予定を変更せざるをえなくなった。沖縄では沖縄戦を中心に平和学習に取り組むことが多いのだが、時期も変わるのだから、視点も変え、「人権」の視点から考える平和学習をテーマに1月に講演会を開催することとした。平和教育に取り組む中で、ここ数年気になっていたことが、悲惨な戦争体験を学んだ後の生徒の感想に、「自分だったら、自殺していたはず。」という表現が増えてきたことだ。新型コロナは、ただでさえ、先の予測できない不安定な時代を生きる生徒たちを襲った。死がリアルな現状だからこそ、絶望の中に希望を感じてもらう取り組みがしたかった。そこで、ぜひ講師をお願いしたかった方が、伊波敏男さんだ。人間の尊厳を大切に、「ハンセン病を生きて」こられた伊波さんと出会うことで、「ああ人はこういうふうにも生きていけるのだ。」という希望を感じて欲しかった。そして、その上で、新型コロナという新しい感染症とつきあうにあたって、自分自身を含む人の心の弱さや、醜さと向き合い、それを利用して国策を進めようとする権力構造=国家についても考える視点を育んで欲しかった。本レポートには掲載できなかったが、講師の希望もあり、事前学習は時間をかけて、丁寧に行った。その際、リモート形式での開催が予測されたので、生徒に当事者意識をもってもらうため、できるだけ具体的なエピソードを資料に取り入れた。また、多くの生徒・職員に関わってもらえるように、生徒から実行委員を募ったり、教科の授業で事前学習を行ったりした。講演会を開催する時期、勤務校で初めて生徒の感染者がでており、しかも、その生徒は平和委員の一人で、講演会をリモートではあるが、直接聞くこととなっていたので、感染症による差別の話をどう受け止めるか心配したが、受講後に感想を聞くと、「聞いて良かった、安心した。」と語ってくれて、ほっとした。下記の資料が、実際に行った要項やレジメ、生徒の感想である。

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2020.12.17(木)職朝 平和教育委員会
「人権」の視点から考える平和学習(案)
1.目 的
(1)「人権」の視点から平和について考え、誰もが安心して、その人らしく生活できる、平和な社会を築くための主体的な学びの場とする。
(2)ハンセン病に関する歴史を学び、差別や偏見を生まないために、真実を知ることの大切さや声をあげていくことの大切さを学ぶ。
2.日 時:1月26日(火)5・6校時 総合的な学習/探究の時間 
3.場 所:視聴覚室及び各HR教室
4.テーマ: 「ハンセン病を生きて」 ~ 今、きみたちに伝えたいこと ~(仮)
5.講 師:伊波 敏男(いは としお) 氏 (作家・人権教育研究家)
 1943年沖縄県生まれ。少年期を石川で過ごす。14歳からハンセン病療養所での治療を経て全快。東京の中央労働学院で学び、社会福祉法人東京コロニーに勤務、93年より約3年間、同法人および社団法人ゼンコロの常務理事を務める。97年、自らの半生記『花に逢はん』で沖縄タイムス出版文化賞を受賞。その他の著作に『夏椿、そして』『島惑ひ』『父の三線と杏子の花』『句集 青い海の捜しもの』などがある。2004年より信州沖縄塾を主宰し、塾長となる。2013年、フィリピン国立大学医学部レイテ分校学生に奨学金を授与するNPO法人クリオン虹の基金理事長に就任する。

6.方 法(予定):
(1)講師が来校できる場合:視聴覚室において生徒代表が講師から話を直接聞き、質疑応答を行う。代表以外の生徒は各HR教室で配信映像により受講する。
(2)新型コロナの影響で講師が来校できない場合:ZOOMによる中継で、(1)と同様に行う。

7.生徒代表:生徒平和委員  *技術協力:生徒会・放送部
8.日 程: 13:55~14:05  出席確認・趣旨説明
       14:05~14:45  講演(40分)
        14:45~15:00   質疑応答(15分)
15:00~15:05  お礼の言葉(5分)
          休憩
15:15~15:45  ワークシート記入、クラスでの意見交換・感想記入
9.事前学習:①理科・社会の朝学の時間や授業の中で資料の読み合わせやDVD鑑賞を行う。
        ②昼食時間の校内放送で伊波さんについて紹介された記事の朗読を行う。
*その他:当日は生徒平和委員が中心となって運営できるように、事前学習や打ち合わせを行う。

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今、君たちに伝えたいこと

2021/01/26 沖縄県立石川高等学校

(講演内容)
(1) 私の生き方・ふたつの原点  (2) 発病宣告・沖縄愛楽園・サァターアンダギー(3) 逃走!! Good Luck!!
31番目の合格通知 けり落された切符 (4) 改造人間・ポケットから手が出た (5) 家族の崩壊 
(6) 「らい予防法」廃止・作家への転身  ❈あなたたちへのメッセージ

【学びのために】
♠ ハンセン病はどのような病気でしょうか。
 1873(明治6)年、ノルウェーのアルマウエル・ハンセンが「らい菌」を発見。1943(昭和18)年、特効薬の有効性が証明される。この病気は極めて感染力が弱く、幼少時にのみ感染し、大人には感染しません。発病すると手足の末しょう神経がマヒし、病状によっては知覚が失われます。衛生状態や栄養状態が改善された、現在のわが国では数例の発生があるだけです。アフリカ・中東・アジア・南米などの発展途上国では、今も患者が発生し、WHO(世界保健機関)は、全力をあげて、この感染症の抑圧に立ち向かっています。もし、病気が発症しても、今では一般病院で処方される多剤併用療法(MDT)の服薬によって、6ヵ月ほどで治癒します。
♠ ハンセン病患者の救済がはじまる。
 1875(明冶8)年、東京にハンセン病専門病院が開設されますが、古い時代から、病気の原因が分からず、前世の悪行の罰、遺伝病としてとして、病人たちは恐れられ、差別や偏見にさらされ、村々から追われました。生きるために神社仏閣に集まり、乞食となって生き延びていました。明治時代になるとキリスト教の伝道が許されるようになり、多くの宣教師たちが日本国に入りますが、日本国家は近代国家づくりを始めたというのに、この病人たちを放置されていることに驚ろかされます。フランス人神父が、1889(明治22)年、静岡に病院を開設したのにつづき、次々と外国宣教師たちは、ハンセン病患者のための病院を開設し、患者の救済にあたります。
 諸外国からの批判の前に、わが国は1907(明治40)年、ハンセン病に関する法律「癩予防ニ関スル件」を制定しましたが、この法律の目的は、病人たちを特別な場所に閉じ込める治安対策法でした。 
♠ 強制隔離政策の推進。
「日本民族は優秀な血を持つ⇨らい患者は民族の血を汚す悪疾だ」と。全国では、民族浄化を旗印に、競い合う様に、病人たちを終生ハンセン病療養所に隔離せよ! と、「無らい県運動」が起こされます。この国民運動の高まりに押されるように、1931(昭和6)年、「癩(らい)予防法」(旧法)を制定し、1909(明治42)年、全国5ヵ所に公立療養所が開設され、警察官が犯罪者のごとく、病人たちを強制的に収容・隔離し始めます。隔離療養所は「極楽浄土」の地と謡われましたが、実態は、重症患者をのぞき、病人たちには施設内の仕事が割り当てられました。特に、悲惨だったことは、男性患者には断種手術、女性は堕胎が行われ、隔離者の身元は消され、偽名のまま死に絶えるまで隔離されました。遺骨は故郷の墓に帰ることなく、療養所の納骨堂に安置されたままです。また、療養所管理者の意向に逆らう者は、裁判もなしに所長の判断で、療養所内の懲罰房に入れられ、それでも反抗する患者は、全国の療養所から厳寒の群馬県にある特別監獄に送られ、獄中死させられました。まさに、ドイツのナチスが行った「日本版アウシュビッツ」そのものです。
  沖縄では、1931(昭和6)年に「県立宮古保養園」(現国立宮古南静園)が開所されますが、沖縄本島での療養所設置計画は、県議会や各地の猛烈な反対運動にあい、やっと、1938(昭和13)年、「臨時国立療養所国頭愛楽園」が開設されましたが、臨時の名称が、「国立沖縄愛楽園」となったのは、1941(昭和16)年になってからです。現在、全国には13の国立療養所と一ヵ所の私立療養所が運営されています。
♠ 現「日本国憲法」下でもハンセン病患者への人権無視はつづけられた。
1945(昭和20)年、太平洋戦争が終わり、わが国は新しい「日本国憲法」の下で出発します。この憲法は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の三本柱を中心に成り立っています。しかしながら、ハンセン病患者へは基本的人権の光はあたりませんでした。1953(昭和28)年、新たに「らい予防法」が制定され、隔離政策は継続されます。わが国でも1949(昭和24)年から、特効薬プロミンによる治療がはじまり、ハンセン病は完全に治る時代を迎えました。世界各国では、1960年、WHO(世界保健機関)の方針に従い、ハンセン病患者の差別法撤廃と外来治療への政策変更を行いましたが、わが国は、それから40年間の長い間、隔離政策をつづけ、病人たちの人生を奪ってしまいました。世界からの批判を受け、やっと、1996(平成8)年、「らい予防法」は廃止され、隔離政策は幕が引かれました。現在、全国のハンセン病療養所には、平均年齢85.9歳の1,215人(2019年)の元患者が余生を送っています。
♠ 国が裁かれた。国家とは? 国民とは?
  国の隔離政策によって、人間の尊厳と人権が侵害された元患者たちは、「違憲国家賠償訴訟」で国を訴え、2001(平成18)年、裁判所は国の過ちを認めました。その判決に従い、国と誤った法律をそのままにしてきた衆議院・参議院も謝罪し、その後、全国の新聞紙上に総理大臣名で『国の過ちを謝罪し、この人たちが、一日早く、故郷に暖かく迎えられるようにと、国民に呼びかけました』。そして、奪われたこの人たちの人生被害に対して、国は賠償金を支払う法律を制定します。その被害は家族にも及び、2019年、「ハンセン病家族訴訟」の勝訴によって救済されることになります。
 さあ、しっかり考えてみましょう。こんな過ちが、世界で唯一、わが国だけで長い間にわたって行われていたのは、どうしてなのでしょうか。国は法律を策定し、政策として執行します。さて、『国』とは、一体、何なのでしょうか。国は、ひとり一人の国民によって構成されます。94年もの長い間、国は間違った政策をつづけてきました。病気のらく印を押された人たちは、国民に救いの声を上げつづけてきました。しかし、その声に、日本国民は耳を傾けることなく、無関心のまま、間違った国の政策を見逃してきました。では、「国の過ちと責任とは? 一体、何でしょうか?」 ⇨ これは、国民、一人ひとりの過ちと同じことではないでしょうか? もう、二度と同じ過ちを繰り返してはなりません。

❈あなたたちへのメッセージ❈
   敵を恐れることはない 敵はせいぜいきみを殺すだけだ。
     友を恐れることはない 友はせいぜいきみを裏切るだけだ。
       無関心の人々を恐れよ かれらは殺しも裏切りもしない。
         だが、無関心の同意があればこそ、
           地球上には裏切りと殺戮(さつりく)が存在するのだ。(ブルーノ・ヤセンスキー 1901~?)

「 ハンセン病を生きて」~ 今、君たちに伝えたいこと ~ (感想)

1.今日のお話しを聞いて、あなたが、一番印象に残っていることは何ですか?
・山口君が伊波さんに向かって、「君の病気は、君の人間性のせいじゃないんだ」と話したこと。
・沖縄から進学するために脱走したことがとても印象に残っています。自分の意思を尊重し、行動に起こすことや、子どものために県外に逃げるための手助けをした家族の愛などを感じることができました。 
・科学的根拠に基づいて物事を考えるようにする、つまり心のワクチンを打つことが大切という言葉が印象的でした。コロナ禍を生きる私たちに必要なことだと思います。
・ハンセン病と診断された後の愛楽園に隔離された時、伊波敏男という名前を捨てなければいけないというのにとてもおどろきました。親の目の前でとなると、想像つかないくらい悲しい気持ちになるのではないかと思いました。
・ハンセン病の後遺症で指がなくなり、顔が変形している人に会ったその人から貰ったサーターアンダギーをわざとトイレに捨ててしまい、その瞬間、罪悪感がでてきて、その人に泣いて謝ったこと。
・「敵はせいぜい君を殺すだけ」「友はせいぜい君をうらぎるだけ」の言葉が印象にのこっている。
・認識と感情が別という言葉が心に強く残ったコロナや人種、性差別なども頭では悪いと「認識」しているのに、「感情で」差別をしてしまうと思う。   
・愛楽園で抱きしめられた時が1番ぬくもりを感じていたと言っていたのが印象にのこりました。
・ハンセン病に、戦争に、とっても辛い思いをされて今も生きているって本当にすごいなと思いました。伊波さんのように強く生きたいと思った。
・伊波さんがお父さんと逃げるために乗る船の前のアメリカ人が伊波さんの書く万年筆と手を見て病気だと知ってても優しく見逃してくれた話がとても心に響きました。
・「病人は近くに医者がいると安心する」という言葉に、どれほどの重さがあるか、とても心が苦しくなるものがありました。
・ハンセン病のせいで家族バラバラになってしまったこと。
・ハンセン病回復者であるのに、本人だけでなく妻や子どもたちまで差別されてしまう、という話。
・伊波さんがハンセン病と診断された時の家族の反応。本人も辛かったと思うけど、家族もとても辛かったと思います。
・同じハンセン病患者からの声でTV番組の放送が中止になったところ。
・パスポートを見せるときに、アメリカ人の人が、伊波さんに向かって大きくウィンクをしたところです。
・どんな状態であろうと、どんなに辛くても、「生きていること」それがどんなすごいことかを考えて、常にチャレンジする心で!!友人の一言が、周りの人の言葉かけ、支えで、人の人生をかえることができるということがとても心にきた。
・何回も何回も自殺の計画を立てていた。でも、自分がまだ2歳のころ戦争があり、親のおかげで生きることができた。だから自殺することができなかった。
・「人生をかけた宿題をして欲しい」が一番印象に残った。人生において一番難しい宿題と思ったから。


2.今日のお話しを聞いてのあなたの感想を書いてください。

(3年生)
・ 自分もまた差別されるかもしれないという不安もありながらも、ハンセン病差別と闘ってきたのがすごいなと思いました。現在もコロナ禍で差別や偏見が起きているから、弱い立場の人を支えられる人間になりたいなと思いました。
・私がいる環境には、差別も偏見もなく、私自身も私の周りも生きやすい環境なので、こういう話しにはあまり関係ないと感じていた。しかし、沖縄にも人権侵害の歴史があって、自身の体験を語ってくれると、とても関心がもてるし、少し考えてみようと思う。最近ではLGBTなどの問題があるが、正しい知識と理解が広まっていけばなと思う。
・ハンセン病にかかったという理由で患者を家族から引き離し、一生隔離し、子供をつくれない体にする旧らい予防法は大変非人道的だと思いました。今は新型コロナが流行している時代ですが、かかった方や医療従事者の方々への差別につながらないよう、むやみやたらに恐れず、科学的根拠に基づいた行動を取りたいと思いました。
・現代では聞いたことも無かった病名で、今週の朝学や事前学習で知ることができました。伊波さんのお話はとても自分自身では考えられないような体験をされていて、怖い病気だからといってあまりにひどい差別だと思いました。でも、子どもの為に危険をかえりみない父親の行動は本当にすごいと感じました。見逃してくださった軍人の方も、世の中には心優しい人もいるということ、その逆に差別をしてしまう人がたくさんいると改めて考えさせられました。私は差別をしない人になります。
・最初に結婚した奥さんも、伊波さんと共に、ハンセン病やそれに対する世間の反応をどうにかしたいと思っていたんだろうなと思います。でも、実際に子供への周りの対応をみての離婚という選択も、子供を守るためには仕方がなかったのかなと思いました。

・正確な情報があったとしても、差別や偏見は簡単になくなるわけではないと伊波さんの話から学びました。それでも正しい情報を知り、知識を付けていかないと差別がなくなることはないと思いました。
・沖縄にはまだ問題があるけど、これらを忘れずに、日々何か変えていけるように、考え行動したいと思います。
・伊波さんが、こうして自分たちに向けて、自分のつらいであろう過去を話してくださるおかげで、自分達はよく考えるべきだと思いました。病気についてよく調べることが差別を生まない一つの方法であると私も思います。今、コロナで危険だからこそ、しっかりと調べて感染症患者の方々と向き合えると考えさせられました。
・世の中は甘いものではなく、名前の分からない病気やウイルスにかかっている人に、文句しかいえない人はとてもおろかだと思いました。ぎゃくたいが少しでもなくなる世界にしてほしいと思います。今回、リモートでの話でしたが、いろいろなことが聞けてとても良かったと思います。ありがとうございました。
・人が本当に恐れるものは、未知であると思った。当時らい病はかくり差別の対象だったにもかかわらず、自分からハンセン病だったことを告知して、生きていくのはすごくむずかしいことで、勇気のいることだったと思う。
・ハンセン病だけでなく、他の病気でも差別などはおきているので、私はその病気をちゃんと理解し、差別をしない人に、なろうと思いました。
・ハンセン病という病気がひどく差別を受けていたということは知っていたけど、当時の話を聞けるのはとても貴重だと思った。だけど、なぜそんなにひどい差別を受けていたのかとても疑問に思ったけど、認識と常識は違うという言葉で少し分かった気がしました。その言葉は、自分の日常にも通ずる言葉だと思った。今日の談話で差別など、それぞれの人の置かれている立場について考えるきっかけになりました。
・ハンセン病で差別されても強く生きる姿に感動したし、勇気をもらえた。友の力も大きいと思いました。伊波さんの行動力は真似したいと思った。
・たった20年前にやっと文書上での自由な暮らしが保障されたのがおどろき。日本は差別的な問題にまだまだ課題があると思う。「ひとりでも」と何十年もハンセン病とたたかい、世間と向きあった伊波さんがほんとにすごいと思った。
・ハンセン病という言葉は聞いたことはあったけど、あまり知らなかったので知ることができてよかったです。もっと色々気になることができたので、調べてみようと思いました。あとZOOMで講話を生配信で聞くって、新しくてすごいな~と思いました。
・講師の伊波敏男さんの話を聞いて、ハンセン病にかかったからと言って、強制隔離されたり、子どもを保育園に預ける時も条件つきでしか預けられないなど、色んな差別を受けてすごい辛かったと思いますが、前向きに生きる伊波敏男さん、本当に尊敬しています。今、コロナで大変ですが、お体に気をつけて健康にすごしてください。
・私は伊波さんの心はとてもキレイで強い意志を持っていると思います。妻に手足が不自由っていくことで通そう、と言われたときも、全く折れずに、差別をなくす!というつらぬく心。誰もがその立場だったらきっと、あきらめていたでしょう。その努力のおかげで差別が廃止されることに、頑張っているということを感じました。

・まず知ることが、これが一番大切だと思う。私たちは多くの情報を見て知ることができる。知るこ
とができるのにそのチャンスをすててしまうのはとてももったいないことだと思う。私たちは知り、知った上で問題を考え、それを伝えるということだと思う。

(1年生)
・伊波さんのいた時代は、このハンセン病という病気にかかると、簡単に高校にも行けないし、名前も変えさせられると聞いて、とても怖いなと思いました。やりたいことができるありがたさを実感して、これからの人生悔いのないようにおくりたいと思った。また、何らかの原因で不自由な生活をしている人には、周りの支えや、伊波さんのようなどん底に落ちて、はい上がった人の話を聞いてほしいと思いました。
・周りに何の影響もないのにも関わらず、ハンセン病ってだけで酷い扱い、差別を受ける、病気のせいであってその人にはなんの責任もないのに、残酷な社会だなと思いました。敏男さんがずっとあきらめずハンセン病と冷たい社会と戦ってくれて、私たちもハンセン病のことを知れたので、これからは私達で温かい、誰も差別されない社会にしたいです。
・自分もハンセン病について何もしらないなと思った。ハンセン病は見た目が変わってくる病気だから、自分は差別しないと思っていても、どこかでやってしまうと思うので、そんなことが起こらないように、ハンセン病とか色々なことを知っていかないといけないと思いました。
・ハンセン病にかかって、隔離されているのに、逃走して、勉強して、そのあとも、このことを伝えていっているので、すごいです。そして、賠償金は、フィリピンの学生たちに寄付していると聞いてすごいと思いました。
・私は以前、沖縄愛楽園へハンセン病を知りに行ったことがあり、大まかなエピソードを知ってはいたが、伊波敏男さん当人の口から聞く話は資料を読みこむだけでは感じることのできない、当時の思いや細かい場面などを想像することができた。自らの知らないことに対する差別、偏見はどこにでもあり、少なくならない現状を思うと悲しくなるが、まず自分からそのような考えを無くしていけたらと思う。
・今はハンセン病への偏見は無くなっているが、コロナに対する偏見を自分は今、とても感じます。ハンセン病と似ていると思います。治す薬もなかったり、正しい知識がなかったり。皆自分を守るので、一生懸命なんだなと思います。そんななかでも自分は人の気持ちを考えて行動できる人になれたら、自分の中で何かみえてくるものがあるはず。人権や差別の問題を考えると難しいですが、自分の考えをしっかりもち、人を思いやることができる人になりたいです。
・若い世代の人はハンセン病の事を知らない人が沢山いると思います。その分知識もなく、差別する人がいると思います。ですが、石川高校の生徒は沢山知識をもついい経験になったと思うし、私はコロナとか色々な差別と戦っている人を支えたりして差別がへるよう努力していきます。
・どんな状態であろうと、どんな時でも、自分の意志を大切に堂々と生きることが大切であると分かった。
・敏男さんが言っていた、「心のワクチン」と「チャレンジをしてほしい」ということと、こんなことがあったんだということを頭にいれて、頑張りたいと思いました。
・そんなに簡単に人にうつらないのに、こんなあつかいをするとは、人間の価値観は難しいいことなんだなと思いました。
・世間の価値観が間違っているということを訴え続ける中で家族を失ったり、周りからいろんな差別を受けながらでも、信念をかえずに世に訴え続けてきというのを見て、自分以外の人のためにここまでやるのはすごいと思った。
・今、世界中がコロナで大変だと思います。経済破綻、学校の臨時休校、外出を控える、ソーシャルディスタンスなど、マスクもマナーの1つになりかけてしまい、普通にしていたことが普通でなくなりました。でも、今日の伊波さんの話を聞いて頑張ろうと思いました。前に戻りたいと思いますが、前に進んでいくことも大切だと思えた1時間でした。
・山口さんの一言が伊波さんを変えた。人が話す言葉の影響力を知ったと思います。
・現在の新型コロナウィルスとハンセン病は少し近いなと感じました。自分や家族がコロナにかかったことを隠すこともあるだろうし、周りからの差別もあるように思います。敏男さんのように、差別されて辛い思いをしても声をあげる人がいるからこそ、世の中が少しずつ変わることがあると思うので、「あの人コロナだから」という冷たい目線で差別するのではなく、コロナが完治した人も、今、かかっている人でも生きやすい世の中になれば良いなと思います。
・奇跡体験アンビリーバボーみたいな話で、伊波さんにテレビでも広めてほしい人生だなと思いました。メッセージをしっかりと受け止めて、うわさや間違った情報ばかりを信じないで、自分たちで正しい判断ができる世の中にしていこうと心から感じました。
・自分がなりたくてなった病気じゃないのに、差別されて、隔離されたりひどいなと思いました。伊波さん自身もとっても辛かったはずなのに、周りに理解されるよう努力してきたんだなと感動しました。自分も伊波さんように強く生きたいなと思いました。

3.おわりに
 前述した講演会の最初の企画では、新型コロナの影響がなければ、全校生徒を体育館に集め、講演を行ってもらう依頼をしていたが、講師の伊波さんから、生徒一人ひとりの顔や反応を見ながら話のできる人数で行いたいという希望があり、変更することとなった。また、講演の最中にメモや感想を書かせるためのワークシートは配布しないで欲しいという要望があった。それまで私は、できるだけ多くの生徒に直接話しを聞いてもらい、記憶に残りやすいように、ワークシートを配布することが良いと考えていたのだが、伊波さんからの提案にハッとして反省させられた。人と人とが出会いには、効率ではなく、まなざし、まなざされる、顔の見える双方向の交流が大切である、という、人権感覚の原点を教えていただいた。
人権は守られて当たり前のようだが、努力を続けないと、無意識に侵害しかねないものだと思う。コロナ禍の現在、今までの当たり前がそうでなくなっている。20年ほど前になるが、ある国立療養所の元職員の方から、ハンセン病を巡る話しを伺った際、「昔は患者もわきまえており、人に話しかける時には風下に回るほどの気づかいをしていたのに、最近は自己主張ばかりして…。」と怒っていたことがあった。その時は、何て冷たい、人権感覚の欠けた人だと驚いたが、今なら人事とは思えない。過去の差別を反省し、償うべきことが本来で、このような理不尽な発言をすることは、もちろん、許せない。だが、人は恐怖にかられると必要以上に防衛的になり、病だけでなく人そのものを差別する心が生まれてくるのだ、ということが以前より、分かるような気がする。差別をくり返さないために、私たちは、過去から学び、正しい科学的な知識を更新しながら、「差別はしないぞ。」という、強い「意志」をもつことと、無意識に差別をしていないか、自らのふるまいを常に検証することが必要であると思った。特に、学校では権力を持つ側の私たち教職員は肝に銘じるべきだと思う。そして気になることがあったら、お互いに指摘し、意見交換しあえる、真の信頼関係をもった仲間づくりをしていきたいと思う。
同時に、顔の見える範囲を超えて、現象や行為の背景にある構造について考える力や習慣をつけることが、大切だと思うが、それは簡単ではない。現代社会で緊急の課題となっているSDGsの取り組みも、身近なところから問題意識をもつことから始めることが第一歩だと思うが、それで終わったら、政治の問題や歴史の問題、構造的差別の問題などはかえって見えにくくならないかと懸念する。例えば、沖縄では、「辺野古新基地建設反対」県民の民意が示され続けているのに、無視されている。これは、沖縄県民の努力だけで解決できないが、どれだけの人が自分の問題だと捉えてくれているだろうか。香港、ウィグル、ミャンマー…、世界の各地で起こっている不条理を我がこととして、向き合うおとなの姿を子どもたちにみてもらいたい。誰にとっても安心して、その人らしく生きていける社会をつくろうとする決意と実践の継続が、子どもたちにとっての希望になると思う。